まじめ、まじめ。

ダメだしするのは簡単だ。
正論を述べるのも簡単だ。
もっとも難しいのは、受け入れること。
なんにしてもそう。
受け入れることは変わることだし、人間はどこまで行っても保守的だ。
真に変わり続ける人間などいない。
最近、つとそう思う。
ところが、脳は納得できないことを、片たりとも受け入れることができない。
そこがタチ悪い。
それが軋轢でありジレンマである。
絶対的な発言をする人ほど。
その矛盾に生きている。
絶対的であることを相対的にしていることで、僕は生きている。
絶対は相対であり、相対であることは絶対に他ならない。
いい悪いはともかく、反意はそれ自体が生きる術になる。
それは言い訳の多い生き方であり。
あいまいを許さない生き方であり。
慎重な生き方でもある。
つくづく世の中にはいろんな人がいる。
類は友を呼ぶというが、一つ違う世界に飛び込んで見ると、なんと色んな人がいることか。
人を卑下することで生きていく。
そうはならないようがんばっていく。
今日は、プロジェクトから抜ける人の最終日。
この3週間、色んな形で引継ぎを受けてきたわけで、僕も弟子の一人として最後までくらいつく。
札幌出張の同期は、午後休で帰り。
夜は、その人のお別れ会。
ってか、結構飲む。
女性が抜けるということもあってか、人いっぱい。
いやぁ、さすが。
僕は不安だ。
それにしても。
自分と年次は2つしか違わないはずだが、随分違う。
うーん。
うちの部署、というより、北海道にいるメンバーはとりわけスキルの高い人が多いが、ほんと力の不足は感じる。
やっぱり、テストケースを考えるよりも、プログラミングの方が想像力も創造力も必要だし。
そして、プログラミングよりも要件定義の方が、さらに想像力も創造力も
正確な業務知識も必要だ。
僕らみたいに、下流から上流に上がっていくSEは、どうしたって下流のことを考える。
それは、一見低コストで効率的な製造現場を想像できると同時に、そのまた逆の可能性も大いに秘めている。
しかし、今度プロジェクトを抜けるような上流から上流を担当してきているような人は、効率的な製造を指揮することはできなくても、お客と自分たちにとっての視点というものを確実に持っている。
それは、僕らにはなかなか見えてこない。
技術は進化するものであり。
常に追い続け無くてはならない。
しかし。
自らが、そう戒めを強く持っていたとしても、必ずその流れについていける、そんな保障はどこにもない。
自分の強みが一つの分野であることは、今の段階は武器だしそうあるべきだけれども、それは10年のことであって。
決して、20年30年のことじゃない。
少なくともいま、自分は。
10年で輝くよりも、20年30年でも強く輝き続けることを求める。
スペシャリストか、ゼネラリストか。
間違いないことは、スペシャリストでも、ゼネラリストでも、真に仕事ができる人は、結局は両方兼ね備えている。

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