別に終戦記念日だからではないけど、ここんとこ生き死にについてよく考えてる。
なんだろね。
夏はなんだか、死の匂いがする。
どこから来てる連想なのかさっぱり。
不思議。
敗戦記念日でもなく開放記念日でもなく終戦記念日。
それがこの国の戦争の捕らえ方。
60年も前の話だ。
60年も経てば皆忘れる。
最近特に、そういった傾向が強い。
それ自体は悪いこととは思わない。
何時までしがみ付くのもよくない。
でもま、過去の戦争に必然を見出し、結果美化に繋がるという繰り返しはいい加減どうでもいい。
そうゆうのって、戦前を悪だと単純に捉えていた人とかが陥りやすい。
そんな簡単な話じゃない。
歴史は連綿と続いている。
そして歴史は変容し続ける。
大事なのは過去の時代がどうだったのかではなく、本質で、それは例えば人を殺しては
いけないとか、奪ってはいけないとか、そういった単純なこと。
物事を押し込めるにはドイツ流も良いかもしれないけど、被害者の意識が強い、
日本て国の国民にはやっぱり難しい。
しかしやられた方は全面的にやられた方でしかなく、やったほうは、
やった方でありやられた方であり。
結局やられた方には、やった方がどうだったかなんて、全く関係がない。
そこんとこ、意識しなきゃ。
次にまた大きな戦争でもなきゃ、こんなのずっと消えない。
それが真理。
でもとても悲しい。
まぁ。
結果的に誰も血を流さないなら、それが一番じゃないか。
そう思う。
だから、国の誇りなんてどーでもいい。
人としての誇りがあれば。
お盆ゆえ電車空き空き。
すばらしい。
出社してもがらんとしてる。
とことこ、キーボードをたたき出す。
PMもリーダーも夏休み。
しかし仕事はいっぱいだ。
がんば。
どーしても焼き鳥食いたい。
っつーことで同期を半ば強引に誘って、大吉。
もう大吉ファンです。
そしたら、ついでってことで後輩まで呼んでまう。
迷惑な先輩たち。
しかしノリのいい子は大歓迎です。
結局2時過ぎまで焼き鳥屋にいた。
何してますかうちら。
雲間から星が覗く。
明日は晴れそうだ。
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心 / 東京事変
心と云う毎日聞いているものの所在だって
私は全く知らない儘大人になってしまったんだ
頬に注いだ太陽に肖る快感
前を睨んで性を受け直す瞬間
手に取って触るだけで 解った気になっていた私に然様なら
妙な甘えでもう誰も失いたくない
逢って答えをそっと確かめたいけど
触れ合いに逃避するのは禁止 戸惑いつつも変えているんだ
生まれてしまった恥じらいを今日嘲笑わず耐えて居たい
私は何度溺れたとして泳ぐことを選んだんだって
宵の苦悩に苛まれながら覚醒
縦横無尽に感じ剥がしていく行程
此処で見抜いて新しく会って 向き合う私に気付いて
汚れてしまった恥じらいを今日受け止めて添いたい
私は何度堕ちたとして生きることを選んだんだって
雲すらとうに逃げた後の秋ヶ瀬公園は
私の全く知らない様な刺々しい冬を唄う
心と云う毎日聞いているものの所在だって
私は全く知らない儘大人になってしまったんだ
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