理解と利用はやっぱり違うんだな。
ここんとこmixiでも、ねずみ講みたいのがえらい増えた。
ねずみ講なんて手口はそれこそ戦前からあるようなもんだけど、
現代に至ってもまだまだ現役なのだ。
ほんとに引っかかるのか?
いや引っかかるんだろうねきっと。
うーん。
わからない。
大学時代に、一番楽しかった講義がある。
名古屋外国語大学の高瀬淳一教授の講義で、
テーマはもっぱら昨今の政治の学問的考察だった。
彼の専攻は「情報政治学」と言ってるもの。
大きく勃興しつつあったネット社会の政治との関わりも論じていて、これがとても面白かった。
その中で、「インターネットの登場で個人でも情報獲得能力が問われる時代になった」と述べていた。
あぁ。
うん。
ほんと、それはあるなぁと思う。
情報を探すこともそうだし、情報から身を守ることもそうだし。
それ如何で、ごく一般人だって行動力が変わってくる。
今はまだいいんだろう。
ネットがなくたって生活できるし。
不便もそれほどない。
でも必須になってしまったら?
例えば「貨幣」のようにね。
僕らの時代ではもしかしたらそこまで大事じゃないのかもしれないけど、
あんなmixiの状況見てると、ぼーっとしてたら危ないよなぁと思う。
問題意識だけでもあれば大分違うんだろうけどねぇ。
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