1年前。

早いような、短いような。
社会に出て、もう1年。
1年前、まさか札幌で2年目を迎えようとは思いもよらなかった。
それにしても。
1年前。
9時から17時半まで、拘束されるだけでも、かなり辛かった。
精神的に束縛されているというか。
大したこともしてないのに。
ってか何もしてない。
でも、一日長くても数時間の授業だけで慣れた心には結構きついものがある。
それが、今や。
17時半に帰るなんて、夢のまた夢で。
なんて自由時間がたくさんあるんだろうとさえ思う。
いや、定時どころか、21時くらいに帰宅してもそう思える。
わりと、日々あまり「自分の時間がない」と不満を覚える性格ではなかったけれど。
そもそも学生で、「忙しい」「自分の時間がない」とか言う人は、あまりに小さい人間に思えてしまう。
所詮、忙しい、なんてその人のキャパシティの問題なのだ。
自分の時間は、自分で作るもの。
他人に対して、忙しいだの自分の時間がないだのの理由で約束を破るのは、結局言い訳が下手だしあんまり社会性があるとは言えないのかもしれない。
でも、一番簡単で一番真実を付いた理由なのも、間違いないのだけれど。
目に見えてる。
定時で働くだけでも、忙しさを感じて自分の時間というものを強く意識するようになり。
やがて残業するようになって、より一層仕事を考え。
プライベートがどんどん職場と一体化して、それまでの過去を振り返らなくなり。
仕事とプライベートは別、といいながら結局は一緒になり。
仕事以外の場において、「自分の忙しさ」をより強調するようになる。
1年前の自分の考えと、そぐわなくても、それが当たり前と思い込ませる。
人は変るもの、という。
あんまり、それが正しいとは思わない。
人は変るのではなく、結局は自分に正直だということだと思う。
そのとき、その場の自分の気持ちなど、何の筋も通ってないと言うことだと思う。
極端な表現だが。
そんな気分屋の人って、周りにたくさんいる。
いやむしろ、そんな人しかいない。
悪いとか良いとかという問題ではない。
そうゆうものなのかもしれない。
気分で筋を変えてしまいかねないことを、僕個人は嫌ってるけど、案外普通は受け入れるものなのかもしれない。
じゃぁ、無理に自分を通すのも、馬鹿を見るだけだなぁ。
と、最近よく思う。
自分は、そうゆうところ、普通じゃないんだろな、と。
人を思いやること。
人を信じること。
こんな状態で。
出来るんかな自分は。
絶対、自分から裏切らないこと。
その、地獄のような苦しみは、味わいたくない。

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